2003年10月30日
名郷→妻坂峠→大持山→小持山→武甲山→横瀬駅
(埼玉県名栗村・横瀬町・秩父市)

はじめに

 ’03.10.30に「奥武蔵」と呼ばれている地域の山に登りました。日本200名山の一つである武甲山を含むわりと長めのコースです。
 名栗村名郷バス停から歩き始め、横瀬町との境目にある妻坂峠を経て、大持山・子持山小持山(2004.11.12修正)・武甲山の3つの山(すべて横瀬町・秩父市の境界線上)を縦断、西武秩父線横瀬駅へ降りるというルートをとりました。

 何故登ったのか、それはである・・・・・・・・・しいて言えば、運動不足が気になったから(?)

 なおこの文章を書いているのは12月。もう既に1ヶ月以上が経過している・・・。そのため、記憶が曖昧なところがありますが、ご了承ください。

第1章(自宅〜名郷)を読む
第2章(名郷〜妻坂峠)を読む
第3章(妻坂峠〜大持山〜小持山)を読む
第4章(小持山〜武甲山)を読む
第5章(武甲山〜横瀬駅〜帰宅)を読む

第1章    自宅〜名郷

*写真をクリックすると大きいサイズの写真が見られます。
07:30 自宅(埼玉県所沢市)
以降すべて埼玉県
0歩 出発!
07:41 小手指駅4番ホーム(所沢市)
こてさし
1042歩
(自転車)
西武池袋線・飯能行きの電車に乗る。\230
08:00
から
08:15
飯能駅(飯能市)はんのう
1602歩  西武池袋線の終着駅で、西武秩父線の起点なのは、正式には吾野駅ですが、実質的にはこの駅が2つの路線の区切りになっています。特急レッドアロー「ちちぶ」以外では、この駅をまたいで運転する電車はごくわずかしかありません。
 駅は飯能プリンスホテルや、西武飯能ペペと一体化しています。(写真参照)

 ここから8時15分発の国際興業バスで名郷へ向かいます(\790)。ちなみに、このバスを逃すと、10時30分まで待たされることになります。
09:10 名郷バス停(名栗村)なごう
1813歩  バス揺られること約55分、終点の名郷に着きました。その途中には60以上のバス停がありましたが、停車したのはわずか2つだけでした。

 さてここは、埼玉県入間郡名栗村(いるまぐんなぐりむら)。良質な木材の産地として江戸時代から知られていました。(私は知らなかったけど・・・)

 妻坂峠へはどの道を行ったらいいのか、いきなりちょっと迷いました・・・
 ちなみにここの標高は320mくらいだと思います。

第2章    名郷〜妻坂峠

*写真をクリックすると大きいサイズの写真が見られます。
09:30 大場戸橋(名栗村)おおばとばし(?)
このはしわたるべからず・・・
?歩  名郷バス停付近で合流している川のうちの一つ(入間川の本流らしい)に沿って歩き始めました。

 「大鳩園」というキャンプ場の横を通り抜けると、そこに「大場戸橋」という橋があります。おそらくどちらも「おおばと」と読むのだと思います。
 ただしこの橋は渡らずに、橋の手前で右に曲がって妻坂峠を目指します。(写真は橋の手前の分岐点にあった看板)
 なお、橋を渡ってまっすぐ行くと、鳥首峠へたどり着きます。そこからでも大持山へは行けます。
09:45 蛇滝(名栗村)へびたき(?)
4078歩  大場戸橋の前から少し歩いたとき、道からちょっと外れた所にこの滝があるのを見つけたので、立ち寄ってみました。

 だいぶ人里離れた所まで来た感じがしますが、まだ道は舗装されていて、自動車も走っていました。
10:15 入間川起点(名栗村)いるまがわ
6014歩  舗装道路のゆるやかな登り坂ををひたすら歩き続けたところ、このような石柱があるところにたどり着きました。
 「一級河川 入間川起点
 入間川は荒川の支流で、ここから川越市(荒川との合流地点)まで続きます。

 「起点」とはいっても、ここから先にもまだ水は流れています。石柱の後ろに見える滝のようなものは砂防ダムのようです。
10:20 山中(名栗村)やまなか(?) さんちゅう(?)
↓クリックすると看板全体が見られます
6354歩  かつてこの場所には集落があったらしいです。でも、今では、建物が建っていた痕跡がかろうじて残っているだけです。

 ここで、道は2つに分岐していて、案内板が立てられていました(左の写真)。
 この看板によると、妻坂峠まではあと50分大持山へは2時間10分かかるということです。
10:33 舗装道路の終点(名栗村) 7054歩  車道はここで終わり。ここからは本格的に山道となります。ここには、「妻坂峠 約20分」の案内板がありました。
11:00
から
11:05
妻坂峠(名栗村&横瀬町)
つまさかとうげ 標高839m
↓左に見える山は武甲山(たぶん)
8799歩  舗装道路が終わってからはまず、入間川の源流に沿って(というより水が流れている上を歩くところもある)登る道になります。しばらく歩くと今度は曲がりくねった急な登り坂になります。その坂を上りきったところが妻坂峠です。秩父郡横瀬町(ちちぶぐんよこぜまち)との境でもあります。

 この峠やいままで歩いてきた道は、明治時代までは、秩父と名栗を結ぶ重要な生活道路として使われていたらしいです。

 ちょうどここにたどり着いたとき、反対側からも、3人ほどの登山者が来ました。このページの一番上の地図を見るとわかりますが、その人たちが歩いてきた方へ進んでいくと、山頂を通らずに横瀬駅へ抜けられます(今言った「生活道路」の続きです)。そんなことをしても面白く無いので、左へ曲がり、大持山へ向かいます。

第3章    妻坂峠〜大持山〜小持山

*写真をクリックすると大きいサイズの写真が見られます。
11:20 歩きにくい登り坂
(このあとしばらくは名栗村&横瀬町)
9349歩  妻坂峠を出発すると、いきなり急な登り坂になります。しかも、溝の底に詰まれた土嚢の上を歩く、非常に歩きにくい道です。どうやら、崩れた山道を簡易的に補修したもののようです。
11:45 ------- 10557歩  ここで、別の登山者がタバコを吸って休憩しているを見かけました。また、後ろからは、妻坂峠で見かけた人が2人歩いてきていました。追いつかれないように先を急ぎました。(別に追いつかれたところでどうなるわけでもないけど・・・)
12:00 ------- 11516歩  時刻は正午。右のほうに武甲山(?)が見えます。
 道は、急な登り坂になったり平坦になったりの繰り返しです。
12:20 大持山分岐(名栗村・横瀬町&秩父市)
おおもちやまぶんき

12224歩  ここで、鳥首峠方面からの道と合わさります。名栗村・横瀬町・秩父市の「市町村」にまたがる場所でもあります。

 ここからの景色はかなり素晴らしいです。写真は、ここから南東(名郷方面)を撮ったものです・・・たぶん。どこで写真を撮ろうか考えている間に、後ろから来ていた2人に追い抜かれました。

 遠くのほうから、武甲山での石灰岩採掘のための発破(採掘については武甲山の山頂の項目で書きます)の警告放送が聞こえてきました。ここまで来れば、大持山山頂はすぐ近くのはずです。 
12:34
から
12:37
大持山(横瀬町&秩父市)
おおもちやま
 標高1294.1m
12642歩  関東百名山の一つ・大持山の山頂です。先ほどの大持山分岐ほどの景色ではありませんが、西側の山は綺麗に見えます。(左の写真をクリック)

 ここまでは、名郷から3時間20分ほどの、ほぼ標準的なペースで来られました。あくまでも「ここまで」は・・・・・・

 先ほど私を追い抜いた2人は食事中のようなので、追い抜き返して、先へ進みました。案内板によると、小持山まで40分武甲山まで1時間50分とのことです。
12:53 邪魔な岩
(このあとしばらくは横瀬町&秩父市)
13206歩  大持山を出発したらしばらくは下り坂でした。(山頂から歩き始めたのだから当然だけど・・・)

 ここには、大きな岩2つが、道をふさぐように並んでありました。その2つの岩の間を通るわけですが、間にも小さな岩があり、かなり邪魔でした。また、左右は急斜面になっているため、この場所自体を避けて通ることも無理でした。
13:04 岩の登り坂 13461歩  岩がむき出しの登り坂があり、なかなか登るのは大変でした。でも登り終わったと思ったらすぐに下りになってしまいました。よく見たら、横にもう一本細い道があり、そちらを使えばまったく昇り降りをする必要はありませんでした
13:10 小持山? 13512歩  またも登るのが大変な坂がありました。それを登りきったとき、山頂らしき場所に出ました。大持山を出発してから33分なので、時間からすると、ここが小持山だと思われました。ただし、案内板などは何もありませんでした。とにかく、ここが小持山だと判断して、次のシラジクボを目指しました。

 ちなみに、先ほどから何度か話題に出している2人の登山者に、この場所で追い抜かれました。 
13:?? 急な下り坂 ?歩  山頂らしき場所を出発すると、突然、急な下り坂になり、滑らないように降りるにかなりてこずりました。そんなことで時間をかけてしまったためか、これ以降「2人の登山者」の姿を見ることはもうありませんでした。
13:33 またも岩の登り坂 ?歩  ここにも岩がむき出しの登り坂があり、なかなか登るのは大変そうでした。でも今度は、先ほどの教訓から、わき道を探し出して昇り降りを回避することができました。
13:45 道が不明瞭な場所 14345歩  道がやや不明瞭になり、本当にここが道なのか不安なまま進み続けました。しばらくしたとき、正面から別の人が歩いてきたので安心しました。
13:55
から
14:00
小持山(横瀬町&秩父市)
こもちやま
 標高1269m
14602歩  突然、案内板がある場所に出ました。「まさかここがシラジクボか?」と思い、字を読むと、なんと「小持山」と書いてありました。普通なら40分で歩けるところに、80分近くかけてしまったようです。

 ちなみにここは、山頂といってもあまり特徴のある場所ではありませんでした。

第4章    小持山〜武甲山

*写真をクリックすると大きいサイズの写真が見られます。
14:00 武甲山を望む
(しばらくは横瀬町&秩父市)
?歩  小持山山頂のすぐ近くから撮影した武甲山です。これから歩く道がはっきりと見えます。
 約180メートル下った後、200メートル以上登ることになります。
14:10 小持・武甲分岐こもち・ぶこうぶんき ?歩  小持山から少し歩くとこの分岐点がありました。直進すると武甲山へ、左へ曲がると、武士平という集落(?)へ出るようです。

 ここからの下り坂は、急で滑りやすく(実際、何度も転倒しました)、なかなかスピードをだせません。
14:55 シラジクボ 標高1088m
17325歩  小持山と武甲山の間にある峠のような場所で、2つ上の項の写真では、道が「く」の字型に曲がっているあたりにあります。
 道は十字路になっていますが、右や左の道には、「危険」やら「通行禁止」やらの物騒な注意書きがありました。
 ちなみに、左の写真の案内板に書いてある、「松平長七郎」は時代劇の主人公として知られている人物です。(私は知らなかったけど・・・)

 小持山からここまで、小持山にあった案内板には25分と書いてありましたが、私は55分もかけてしまいました。このまま行くと、武甲山から降りてくるまでに日没になってしまう恐れがあります。実は、右へ曲がる道(持山寺跡方面)を行けば、武甲山へ登らずに下へ降りられるのですが、ここは、武甲山への登山を強行することにしました。
15:25 大持山・小持山を振り返る
18082歩  シラジクボからは、ほとんどまっすぐで急な上り坂が続きます。ここまでの歩きで、足はかなり痛くなっていますが、実は、いままでの急な下りよりは歩きやすかったです。

 3つ上の項目とは逆に、武甲山の山腹から大持山・小持山の写真を撮りました。道の東側が横瀬町、西側が秩父市になっているためか、左右で植えられている木がまったく違いました。
15:35
から
15:40
武甲山の肩ぶこうさんのかた 18421歩  ここで、横瀬駅方面からの登山道(表参道)と、秩父鉄道の浦山口駅方面からの登山道と合わさります。その二つの道と、今まで歩いてきた道、山頂へ登る道で十字路になっています。
 かなり疲れたので、ここにあったベンチで5分間休憩しました。
15:46 御嶽神社みたけじんじゃ
18609歩  山頂近くにある神社です。登山道を「表参道」と呼ぶのはこのためです。この山が信仰の対象となっていたことの証でもあります。
15:50
から
16:00
第一展望所
だいいちてんぼうじょ(しょ?)

18817歩  御嶽神社の裏手に回り、少し歩くとここに到着します。ここからは、秩父市街が一望できます。

 ちなみに武甲山の高さについてですが、大持山・小持山・シラジクボのところの写真にもあるように、最近まで1295.4mとされてきました。しかし、2002年に行われた測量の結果、1304m(小数点以下は知りません)に修正されました
 ただし、今回は、その高さまでは登らなかったと思います。それ以前に、どの地点が山頂なのかもよくわかりません
 実は、かつて(昭和52年まで)はこの山にもちゃんとした山頂がありました。しかも、今よりも高い、1336mの地点でした。

 何故山頂がなくなって山が低くなったかといいますと、それは石灰岩採掘のためです。写真で、下のほうに見える白い部分は、採掘のために削った所です。古くから信仰の対象となっているはずのこの山で、山頂までも削り取るような採掘が行われたのです。
 この辺りの地域経済は、この石灰岩によるセメント産業によって支えられているという現実もあり、採掘は今でも続けられています。

 時間はもう午後4時。日没まであまり時間がなく、早く下山しないと危険な状況になっていました。
武甲山(横瀬町&秩父市)
ぶこうさん 標高1304m

第5章    武甲山〜横瀬駅〜帰宅

*この区間では、かなりあせっていたため、記憶も歩きながらとったメモも曖昧です。
そのため、間違ったことを書いている恐れがありますがご了承ください。
*写真をクリックすると大きいサイズの写真が見られます。
16:?? 再び武甲山の肩
(横瀬町&秩父市)
?歩  実は、武甲山に登ったのはこれが初めてではありません。前に一度、浦山口駅(秩父鉄道)から登って、横瀬駅へ降りたことがありました。
 時間が遅いので、歩行時間が短い、浦山口駅方面に降りるルートに変更しようかとも考えましたが、一度降りたことがあり、だいたい道も覚えている横瀬駅へ降りるルートのまま進むことにしました。
16:?? 階段(横瀬町) ?歩  木で作られた階段が長く続いています。下りだけどかなり傾斜が急なので、あまりスピードは出せませんでした。
16:35 表参道三十三丁目
大杉の広場(横瀬町)
おおすぎのひろば
 標高1000m
?歩  ここには、名前の通り、杉の大木があります。この場所以外にも、2本ほど、同じぐらい大きい杉があります。
 道は曲がりくねった下り坂です。大持山〜シラジクボの区間にあった下り坂に比べれば歩きやすい道ですが、もしここで日が暮れてしまえばかなり危険です。

 ちなみに、「○丁目」というのは、登山道(表参道)の入り口を一丁目として、山頂を五十二丁目としたものです。道の脇には「○丁目」と彫られた石柱(丁目石)が立てられています。ただし、石灰岩採掘にともない、登山道が変更されたため、山頂付近では必ずしも丁目石がある場所を通ってはいないようです。
17:00 表参道十八丁目(横瀬町) 24209歩  ここからは川に沿った直線的な道になります。
 あたりは暗くなってきました(今日の東京の日の入りは、16:49です)。なんとか真っ暗になる前に曲がりくねった道を抜けられて良かったです。
17:07 表参道十五丁目(横瀬町) 24735歩  ここで別の道と合流し、これから先はコンクリートで舗装された道路になります(もしシラジクボで右に曲がっていたらここに出てきたはずです)。
17:20 生川集落(横瀬町)
うぶかわしゅうらく
?歩  ここには民家や、警察が設置している登山届入れ、公衆便所、マス釣り場などがあります。また、ここに民家があるため、これから先は、一般の自動車も通れるような道(林道)が、登山道とは別にあります。
 あたりはもう真っ暗なので、林道の方を歩くことにしました。
17:?? 表参道一丁目・・・の辺り
(横瀬町)
?歩  家を出る前に、日が暮れることを想定して、懐中電灯をもっていくと決めた覚えはありますが、荷物に入れた覚えはありません・・・・・・つまりは持っていません・・・。明かりになるものといえば、PHSの画面のバックライトぐらいというなさけ無い状態です・・・。

 林道を歩いてきましたが、表参道の基点・一丁目の付近と思われる場所で登山道と合流しました。登山道のほうには、一丁目に一の鳥居(「二の鳥居」とも言われる)があるはずですが、見られませんでした。

 まだ駅へは遠いですが、ここまで来てしまえば、あとは普通の道路のような道です(街灯はないので暗いけれど・・・)。
18:00 ここからセメント工場(横瀬町) 29656歩  暗い道路(途中にあった別荘地以外は街灯がありません)を歩いてきましたが、ここからは明るいです。

 武甲山の項で、セメント産業がこの辺りの地域経済を支えていると書きましたが、ここは、その工場です。しかも、かなり巨大なもので、通り抜けるにもかなり時間がかかります。

 しかし、通り過ぎてしまったら、その後は、再び暗い道路です。工場に出入りする大型車を避けながら進んでいきました。しばらく歩くと、さらに別のセメント工場がありました。
18:20 ここまでセメント工場(横瀬町) 31414歩
18:45 -------(横瀬町) 33965歩  やっと町といえるようなところまでたどりつきました。この場所ならば、PHSの電波も届きます。
19:15
から
19:30
横瀬駅(横瀬町)よこぜ
37674歩  ようやくたどり着いた横瀬駅です。名郷からここまでは、なんと10時間もかかりました。これほどになるとは予想を越えていました。
19:30
から
20:11
特急レッドアローちちぶ46号
(横瀬町→飯能市→日高市
→飯能市→入間市)

↓入間市駅で撮影
?歩  この車両は西武鉄道の10000系、ニューレッドアローです。かつてのレッドアロー(5000系)に代わる車両として平成5年に登場しました。

 ちょうどこれに乗りやすい時間に横瀬駅へたどり着いたので、入間市駅までの特急券を購入して、乗車しました。

 飯能駅ではスイッチバックをします。

<「ちちぶ」の停車駅>
西武秩父→横瀬→飯能→入間市→所沢→池袋

横瀬→小手指の乗車券・・・\480
横瀬→入間市の特急券・・・\410
20:11
から
20:23
入間市駅(入間市)いるまし ?歩
20:32 小手指駅(所沢市)こてさし 38546歩  入間市駅で乗り換え、小手指駅に到着しました。足が痛いので、いままで一度も利用したことがなかった、この駅のエレベータを使いました。
20:58 自宅(所沢市) 39133歩  何とか無事に帰れました。


おわりに
 この旅で思い知らされたのは、山下りの下手さでした。
かかった時間を見てみますと、登りだけならほぼ標準的なのに、下りを含めると、かなり遅くなるという状態です。
この下りの遅さのせいで、日没を迎える場所が、出発前の予測とは大きく外れてしまいました。
(懐中電灯を忘れたのは痛かったです。)
なお、日没の恐れがあるのに強行するというのは真似をしないほうがいいです

 この後、4日間ほどは、ひどい筋肉痛で、階段の昇り降りも大変でした。

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